否定していないものを否定しているかのように思わせるテクニック

概要

 何かしらの言説をする場合普通なら何かを説明したり、論説したり、語ってみたり、感想を述べたり、意見を交わしたり、創作するなどしてエントリーを書き上げるわけだが、そうした手法は単に記述や思考の方法であって、注目の的になるかどうかや他人の感情に影響を与えるかどうかといった本筋とは関係のない部分を盛り上げる力を持たない。しかるに言いたい事はそのままに、あらゆる方法で人は自身の文章を虚飾していく。
 disる行為というのは、それだけで他人の気を惹く。肯定文に人は耳を傾けづらいが、否定文には耳を貸す。それは大部分の人は自身の関与しない部分において無関心であり、肯定的であるから。嫌いなことよりも、好きなことのほうが多いから。
 これを逆手にとって、『disしているように見せかけて、実はdisでない』文章を書くことによって、以下の効能を得られる。

  • 否定派
    • その事象を否定したい人間を誘引できる
    • 何でも良いから否定したい人間を誘引できる
  • 肯定派
    • その事象を肯定したい人間を誘引しできる

 エントリーの趣旨は否定することではなく、否定しているように見せかけていると言うことに注意する。否定派を吸収することにより自身は否定せずとも取り巻きが否定を実行し、論に拍車をかけることができる。肯定派を呼び寄せ論を崩そうと躍起にさせることで、『お前行間読みすぎ、そんな事言ってねえよ』と一蹴できる。何でも否定派は拍手喝采する。

手法

 一般的なものとしては、言い方に気をつけるのが有効。語尾に『www』をつけるだけで、とたんにその文章が煽りの要素を帯びる。あるいは『〜じゃねぇの』や『〜に決まってるだろ』など、乱暴な口調になるだけでもまるで否定しているかのように思わせられる。
 自身の言説を表に出さず、他人の文章を引用し、若干の文を付け加えるのも有効。例えば、『〜〜〜(対象の文をそのままコピー、リンクする)だってwww』などと書けば、それだけでまるで否定しているような印象を与えられるが、厳密には否定していない。ここを突っ込ませれば、思う壺。
 当然そうである文章も語尾を変えれば否定に見せかけられ、自身の主張であるかのように思わせられる。これも、突っ込まれたら回避行動を取れば良い。

 ある程度勝ったらそこで勝ち逃げするのも有効。構造的な欠陥をつっこまれると厳しい反応しか返せないので、そうした輩が現れる前に逃げてしまえ。