サプリ嫌いの健康志向

なぜあなたはサプリメントを嫌うのか。
なぜあなたは健康を志向するのか。
サプリメント嫌いで健康を志向する人に対しての反論覚え書き。
具体例で言うなら母へ、知人へ。


 推測するに、ビタミンやミネラル等のサプリメントを嫌いな人間でも、以下の項目に当てはまる人間は多い。
・食材から栄養を摂るのが良いと考えている
・成分表を見て、一日あたりにどの程度の成分を摂るのが良いかを考えている
・ビタミンやミネラルそのものは否定しない
 これらの人間は、つまりその前提となる「食材の栄養成分表一覧に記載される成分は科学的に確かめられている」こと、及び「一日に必要とされる成分は、表記されている故に科学的に確かめられている」ことについて深く考えていないといえる。

 サプリメントを嫌う人間のいうその理由の筆頭は、たいてい以下に集約される。
サプリメントは非自然物であるから、身体に良いとは言えない
・人間は元来サプリメントなしで生きてきた。故にサプリメントは本来不要
サプリメントでは補えない、自然由来の成分などが存在する
 上の理由から順に、主張の内容は微妙に異なる。

 非自然物が身体に良いと言えないのはありうる話だが、ならば自然物は身体に良いのか。自然物全てが身体に良いと言えないのと同じように、非自然物が全て身体に良いとは言えないだろう。その割合が高い低いは求めることができない(非自然物の総数は?自然物がこれで全てだという保証は?)ことにより反論できるが、更に言うならば、人間を指向して作られたであろう非自然物が、その人間に対し悪い影響を及ぼす可能性に言及できる論拠は何か。恐らく万物は取りすぎれば害悪になるように、閾値が存在するのではないか。非自然物であることをもって身体に悪い、とは言えない。
 人間が元来サプリメント無しで生きてきたことは事実であろうか。サプリメント、という形での摂取がなされていなかっただけで、近代化以降食生活の変化とともに薬と言う形で有効成分の摂取は進んでいたのではないか。自然物非自然物に関する話題は前項であげているから、漢方等といった自然物を処理したものによる接種がサプリメントと本質的に違う、という論拠は外れているといえる。こうした有効成分の摂取がより手軽に、より科学的に必要とされている成分に対し直接的に影響を及ぼす形で現れたのがサプリメントではないか?加えて、現代事情に合わせた生きていくためのより簡便な、より充実した形としてサプリメントが存在していると考えることもできるから、不要であるという形で切り捨てるのは現実を、未来を見据えていないことになる。無しで生きていくことも可能であるから、必要とは言い切れない。不要であるという論調はおかしい。
 自然由来の成分などが存在する、という論拠はどこか。究極的に食材の成分を科学的に分析した場合、『不明な成分』というものは存在しない。効能が不明かどうか、で論じるならば、既に様々に認識されている成分ですらその効能が確定的に明らかであるかどうかは不明である。こうなると、サプリメントで補えない自然由来の成分、未知の成分とはいったい何なのだろうか。オカルト上の話になるのならば、科学の埒外である。恐らくこうした部分は精神的に及ぼす影響のほうが強いであろうから、科学は万能でないことを理由に回避される。

 サプリメント嫌いの人間が、健康を歌うのはマクロ視点で見ておかしな話であるといえる。健康とはバランスであり、数値化して表すことのできる点が多々存在する。サプリメントは既存の食材食品とはこうした面で大きく違う。旧来の食品であることそのものが及ぼす精神的な、ひいては肉体的な、つまり健康に対する影響は計り知れないが、程度問題であろう。サプリメントであることそのものを否定する人間は、学知らずであると言える。