マスコミは営利企業 捏造の程度問題、リテラシー、重要性と正確性

とある局の放送作家の人に愚痴られた話と、テレビ番組制作者のジレンマ。 - 不倒城
http://mubou.seesaa.net/article/137350182.html

 上を読んで、コメント欄の超新星っぷりに食指が動いたので考えた。とりあえず他所様のコメント欄で暴れるのはどうかと思う。何かしらエントリーでもって意見をいうべきではないだろうか。

 まず定義の問題として、インタビューカットとは何を指すかという点で意見の相違があることでだいぶ話がこんがらがっていることから、ここでは「インタビューを編集する」=「単に尺を短くする」と定義し、「編集の仕方に(故意か偶然か)ミスがあった場合」に「捏造報道になる」とする。加えて「TB元の話は当然真実である」(疑うのは疑わしい証拠を見つけてからだと思う)とし、「コンセンサスを取る」とは「放送しようとしている内容に対し話者が納得する」事を指すとし、(2個目のコメントより)「話者に対して事前にコンセンサスを取ることは不可能であることが多い」とする。

 「営利企業たるマスコミ」は大量の情報を視聴者に対し伝えることで何らかの利益を得ることが目的であり、収益モデルはともかく、最終目的は当然「利益を出すこと」であるから、そのために「視聴者を得ること」が必要となる。「視聴者を得る」ためには「報道する」必要があり、「報道する」ためには様々な形で「情報を入手」しなければならない。だから近年言われるのがこの「情報の正確性・信憑性」であって、ここが崩れれば視聴者にとっては不利益になるとされる。ここで一次情報をもとに番組を構成するマスコミのその正確性が問われるために、編集の仕方に対し注目が行くのであろうが、単にマスコミを収益発生のモデルとして考えたときこうした正確性というのは不要であるように思える。何故ならこの正確性が収益に対し及ぼす影響は微々たるものであり(朝日新聞のサンゴの事件や政治偏向報道を行っても、それが様々なファクターを通して収益に対して与えた影響は軽微であり根本を揺るがすには至っていない)、優先されるべきは「報道をする」「情報を集める」ことその物であるから。
 つまり話者に対してコンセンサスを取ることは単なる収益モデルで考えたときには不要な行為であるように思えるが、倫理的には問題があるのは確かだろう。当然、倫理的に問題があるからこそ実体経済へ何らかの間接的な影響を及ぼすのだろうが、現実を見る限り無視できるレベルなのだろう。倫理レベルでの問題であるからには倫理的な批判は為されるべきであろうが、それをすべてと取るのはいかがなものかと思う。正しさを追求する態度は必要であるけれども、それを以って誹謗中傷へと転じるのは間違ってはいないか。

 最初の定義で述べた通り編集のミスが捏造を生むのであるから、捏造に程度が生じるのは当然と言える。捏造の程度が高い(卑俗・猥雑)であればあるほど倫理レベルでの質の低さも甚だしくなり、それに対する批判の度合いも強められるべきであるということは真だろう。さらに言うならば、重要な事象に対する捏造は倫理的批判を強くされるべきであろうから、その物事の重要性もまた批判の度合いと比例関係にあると言えるだろう。さて、重要な物事(何が重要であり、重要とは何かということはまた新たに考える必要があると思うが)であれば当然、正しい情報を伝えることによる必要性や期待が高まることからマスコミが営利企業であろうと公器であろうと事実を正しく伝える役割は恐らく企業努力が許す限り一定の割合で果たされるであろうと思われるから、重要な事象に関しては先のようなコンセンサスを取る行為であれなんであれ(速報はまた一つ別の事象であるように思う)行われるであろうからマスコミは一定の役割を果たせるだろう。
 問題はこうした事象に当てはまらない重要性の低い要件であるからして、当然扱われる尺も短く、再確認が行われることもコスト上ありえなく、インタビュー前に要求を伝えるというリスク・コストに見合わないというその性質である。こうしたことから考えると、4つ目のコメントで言われているような程度問題とは違った、重要性と正確性の比例関係の中での程度、それに対するマスコミ側と視聴者側相互のリテラシーが一段と要求されることになるのではないだろうか。

 マスコミ側のリテラシーを向上させるためには、実体経済に比較的結びつきにくい倫理的な問題をより収益に反映させることのできるシステム(毎日新聞の広告云々はひとつの形だろうが、より法整備の進んだシステム)を用意することが必要と思う。視聴者側のリテラシーを向上させるためには、マスコミが重要性と正確性を関連付けているであろうこと、つまり日常目にするレベルの情報には常に不正確性がつきまとうということを意識することと、意識しなければ不利益を被るシステムを用意することが必要と思う。相互間において力関係がより強固な形で働き、それを意識して行うことがひいてはマスコミ側の一次情報取得における正確性の確保を用意にするであろうことを想定しなければならないと思う。